
2024年沖縄伝統古武道世界大会(釵の部 )優勝。
人生人並みにいろいろあり、いろんな縁・運に恵まれ、芝居、空手、古武道、と古い夢が順に蘇り、新しい夢をみる怖さもなんだか薄れて情熱が止まらず、たくさんの夢を今も追いかけています。強さを信じ真実を探す、この世界の不思議さに魅了され生きています。

これまでの人生で、こういう出来事が今の自分を作ったと思うことをいくつか挙げてみます。
1/ 場面緘黙症
1977年、大阪に生まれました。当時このような症名は世に出てはおらず、小学校卒業までは、幼稚園・小学校に関連する大人・子供どちらとも喋れなくて、ずっと自分でも不思議でした。けど周りの子供らは大体優しくて、このおかげで今でも人のやさしさには気づく方で、表には出なくともいろんな気持ちがあるんだ、ということを知っている方なんだと思います。余裕や興味がなくてそんなことが見えなくなるときは、もちろんあるけれど。
2/ ひき逃げ(された方)
高校2年のとき、早朝、バイクで新聞配達のバイト中にひき逃げされました。その直前、4時過ぎだったか、大学生の男女3-4人とかのグループがカラオケ店の前でたむろしているのを通り過ぎながら私は「こっちは月一休みで毎朝3.30起きで新聞配っとるのに、あほ大学生は気楽でええのう」と心のなかで毒づいていました。その何秒後かに車に当てられて(一応言うと、法的には私が優先道路にいたんだけど)、自分の記憶を繋ぎ合わせると結構派手に飛んでて、それでも当てやがった奴の車のボンネットで跳ねてから自転車置き場に着地したみたいでした。
そのときに私を助けてくれたのが、何秒か前にあほ呼ばわりした大学生らで、たぶん彼らが救急車を呼んでくれたり、一人の女の子はずっとそばにいてくれたり、一人の男の子は、どこかから湧いて絡んできた酔っ払いと闘ってくれたり。私が、その意味は分からないけど私のための喧嘩を、地面に寝転がり横から見上げながら泣いていると、女の子が「大丈夫、大丈夫だから」と頭を撫でてくれたり。私は自覚はなかったけど痛みかショックでか喋ることもできなくてただ、「お前ら、あほって呼んでごめん」という気持ちで泣きました。
そんな状況だったけど、人体の不思議で痛みも感じなくて、おかげでこのような出来事の真っ只中で自己内省の時間をもつことができました。「自分が人を馬鹿にした瞬間にその馬鹿に助けられる」という経験を通して、自分の愚かさと、他人の無償のやさしさ(あほ大学生ら)、他人の馬鹿さ(この状況で絡んでくる酔っ払い)をその場で当事者として見聞きし、感じ、この最中はそれらを感覚的に自分のなかに吸収したと思います。今それを言語化してみると「人間を含むすべてのものは非常に多面的である。そういうものである」という、なんだか「それだけ?」ということのように思います。また、このときにいたのが優しい人たちだけではなく、絡んできた酔っ払いがいたおかげで私は「人間とは結局はいいものである」という一面的な考えに至らずにその後の人生を過ごすことができたと感謝している。あの大学生らについても、すごくやさしくて強くて私は命を助けられたわけだけど、他の場面ではやっぱり、あほ大学生だっただろうし。「悪い人はなぜいるのか?」という問いについてたまに考えるけど、この出来事は、その問いに対する答えの一つの例だと思う。
あと、この日私はなぜかきっちりヘルメットをかぶっていて、また私の友人なんかは同じくバイクでトラックにはねられて50m飛んで生きていて、やっぱりこういうことがあると当事者としては「生かされた」と思う。すると「なぜ生かされたのか?自分に求められている仕事は何なのか?」と当時からよく考えた。そう言うと「例えば不当に失われた命は死ぬべくして死んだのか?」と人を不快にさせてしまうかもしれないし、私も同じことを自身に問いもするし憤りもする。でも言えるのは「間違いなく私も死ぬときに死ぬ」ということだけで、それがいつかは分からないし、ただ最後まで戦っていたいとは思う。これについては、翻訳家ながら日本語で言うのは難しいけど “Let it be” ということなんだと思う。
こうなると、意外とひき逃げした奴などは、なんの面白味もない雑魚だ。ただ私はそのとき17歳まで、大人が子供を車ではねて逃げるなんて現実ではありえないという気持ちの世界で生きていたので、この日にその世界からは放り出された。17歳までこんな風に無邪気でいられたのは奇跡的に幸せなことだったと思うが、これ以降、無邪気というのは与えられるものではなく、自分で選び守るべきものとなった。
3/ 膝の故障
19歳のとき、当時アメリカ留学中だったが空手稽古中に前十字靭帯を傷めた。(ちなみにその何か月後にバイク事故で同じ箇所をもっと傷めた)。私は子供のときからずっと足刀蹴りが苦手だったんだけど、ちゃんと真面目に稽古をしていたのであろう、この頃には気持ちよく蹴れるようになっていて、それが失われたというのが、自分にとって一番大きな印象だった。これまで一番だったのが、この瞬間から教え子の小学生にさえ劣る。しばいてやろうか、と思っていた。別にそれまで私は大会で優勝したとか有力選手だったとかは一切なく、全然大したものではなかったんだけど自分なりにやってきてたから。それなりに、かなり辛かった、ずっと長い間。
当時若いなりに「普通、人はもっと歳がいって気力体力が落ちてから、老いに向かい合わなければならないけど、私はまだ元気なときに立ち向かえる。なんて私は神に愛された人間なのだ」と自分に何度も言い聞かせたけど無理で、「できることをやろう」とボクシングを始めようとして(ボクシングでももちろん脚は大事なんだけど)、あほだから「でもどうせならキックボクシングにしよう」とやってみたらキックができないから、やさぐれて、しばくぞ、と思って。適度になんかできないから全部やめたこともあったけど、結局こうして空手・古武道の道に戻ってきている。ちなみに事故の約4年後に靭帯再建手術を受けたが、たぶんその特定箇所は治してくれたんだろうけど運動障害はずっと残っていて、術後もその後も時々で複数の医者に見せたが異常なし、と言われるばかりだった。結局、事故から20年以上経ってから運動中にまた膝を傷め、半月板切除の手術を受けた途端、調子がだいぶ良くなり、この手術を20年前に受けれていたら人生変わっていたと思ったが、そのときにはもう、そんなことを考えるのも面倒くさい歳になっていた。
歳のせいもあるが、この怪我は、教える立場としての私にとっては大きな恵みだった。怪我のおかげで、生徒に怪我をさせないよう注意深く指導するし、それにより私の心も癒されている。
空手・古武道と私
以上3つの出来事を振り返ってみても、空手がいつも私と伴にあり、必ず私を救ってくれていた。空手のおかげで、場面緘黙症の時期は「私はお前らより上だぞ」という空虚であろうがなかろうがとにかく自信があり、私なりにいつも人が好きで優しさには感謝をし、友達がほしいとずっと思っていた。ほぼ毎日帰宅時には「明日はこれを言ってやろう、めっちゃウケるぞ。明日は、明日は」と思いながら歩いていた。ひき逃げ。これは空手をやっていたから反射的に身を守れたので、事故後2週間ほど動けなかったにも関わらず小指の骨一本も折れなかった。膝。空手に傷つき、また癒された。傷つき癒されるその過程で、いろんな出会い、学び、新しい視点、夢、夢を追う強さを与えられた。すべてが大事な瞬間で、まだこの旅の途中にいることが楽しいし、深く感謝している。
空手・古武道、文学、音響、木工、翻訳、哲学など多様な芸術が大好きです。
2025年は今住んでいる、偉大な哲学者らの国、インドで哲学博士号取得の勉強を始める予定です。

2024年 沖縄伝統古武道世界大会(釵の部)優勝。好きな武器は釵、トンファ、棒。
1986年に空手道場入門。以来日本・海外で稽古・指導を続ける。

日本・アメリカ・ベトナムにて商業、アマチュア演劇経験(俳優・音響・照明・道具を含む)。
シェークスピア、チェーホフ研究。メソッド演技(日米)。

生への衝動、泥のなかで光る小さな石、静けさといったこの世界の美しいものを記したいです。
エッセイ、詩、ドラマ、脚本、商業執筆他。

ハリウッド、日本の大手プロダクション、インデペンデント製作物、文学、哲学、出版翻訳。
ドラマ、哲学、IT、ビジネス、医療、法律関連など。

20年以上の日本・海外でのプロPA経験(演劇・コンサート・イベントなど)。
音響効果デザイン、オペレーション、スピーカー製作

豊潤な音、スタイリッシュなインテリアを提供するスピーカーのオーダーメイド製作。
音響学的に優れたデザインを丁寧に木工製作します。
2024.11.23. バンガロール日本人補習校運動会にて
ほとんどの当地滞在日本人子女はインターナショナルスクールに通っており、いろんな文化・言語内での生活は素晴らしいものではある一方、母国日本文化に触れ合う機会は少なくなります。演武の機会をいただき、子供たちのいろんな反応に刺激をもらいました。
「世界王者」の響きに「すごい!」と喜んだり、こちらに引っ越してきてから空手を辞めていた子が私の道場に体験稽古に来てくれたり。いろんな気持ちで海外滞在している保護者の方からも、励みになったとの声もいただき、私自身が励まされました。
2024. 11.15-17 インド・バラナシ ガンジス河にて
ヒンズー教徒の聖地であるこの場所は、特別な空気を感じられる場所で、滞在した3日間は素敵な瞬間の連続でした。今回は2回目の訪問でしたが、初めてのときは、悲しく迷子のような気持ちでしたが、河べりに座り流れる雲や煙をみるうちに、自分の目に光が差し込んできたような感覚になったことを覚えています。
今回は、世界王者になったことの報告と、お礼に花を捧げ、これからも光が伴にありますようにと願いを懸けてきました。
2024. 11.15-17 インド・バラナシ ガンジス河にて
今回はどうしてもガンジス河に入りたくて、いろんな準備をしました。バタフライの練習には、うちのアパートの冷たい汚いプールにて早朝泳ぎ、足場の悪い泥のなかで武器を振るためには水溜まりを選んで歩いたり、シャワー室に油を撒いて稽古したり、あとは予防接種の有効期間が切れているものがあったので5種打ちました。
ガンジス河は前回行ったときより大分きれいになっていて、病気になることもなく、むしろそれ以降体調が万全で「ガンジスで絶好調=無敵」と勘違いしてしまっています。
今よりも成長した自分で、またバラナシに帰り、成長した自分がそこで何を見るのか楽しみです。
人生とは未知と不思議の塊で
捨てても捨ててもついてくる夢や希望と一緒に歩く道である。
疲れて希望がもてないときは、希望が私たちの手を繋いでいてくれる。
一息ついて、希望を側にいるままにさせてやってもいい
追い払わないかぎり、一緒にいるつもりでいるらしいから。
私たちは夜空の一粒一粒の星で、
それぞれの星が近づき離れては新しい旅に出かけ、
今もどこかの空で輝いている奇跡に心が熱くなる。
Yuki Okajima | 岡島 由紀
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